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2011.10.10 具志堅用高
最近テレビで見ない日は無いというくらい、ひな壇芸人と化し、天然ボケぶりを発揮している具志堅さん。

でも、現役時代は日本の歴代世界チャンピオンの中でもNo1の13度の防衛記録を誇る最強ボクサーでした。
チャンピオン時代は私はは小学生でしたが、じつは具志堅さんはキライでした。それはあまりに強すぎるからでした。ちょうど同時期、大相撲では横綱北の湖関が圧倒的に強いため「強すぎて憎たらしい北の湖」と呼ばれ、憎まれ役に回っていたのと同じような感情を具志堅さんにも持っていました。

アフロヘアの日本人離れした風貌の具志堅さんがはるばる海外からやってきた挑戦者たちを無慈悲にも打ちのめしノックアウトしていく姿は、子供の頃の私には受け入れられないものがありました。
今にして思えば実にもったいない見方をしていたものです。

というわけで、興味のある方は迫力満点の具志堅さんの雄姿をどうぞ。
いや~、つええええ!
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つづき

24歳で世界初挑戦した天才ボクサーはすでに32歳になっていました。
2008年9月、1階級上げてWBCスーパーバンタム級王座決定戦に出場し5度目の挑戦でついに念願の王座を手にします。かつて「世界王者になるのは当然」と豪語した男はリング上で人目はばからず号泣したのでした。
しかしまだこの時点ではなんとなく初挑戦のころの頼りなさがまだ残っている感じでした。

栄光をつかんだのもつかの間新たな試練が訪れます。
2度目の防衛線、興行権の入札に敗れたため敵地メキシコで戦わなければならないことになりました。相手は世界的強豪のジョニー・ゴンザレス(今年、あの長谷川穂積からKOでフェザー級王座を奪取)。しかもこのときのメキシコは新型豚インフルエンザが猛威を奮っており、逆風だらけの防衛戦となったのでした。当然予想は圧倒的不利。
地元のヒーローへの大歓声と西岡選手へのブーイングの嵐の中、案の定1ラウンド早々ダウンを奪われました。しかしこのピンチを冷静に乗り切ると次第にゴンザレスのパンチは空を切るようになり、3ラウンド、あまりにも見事な左ストレート1発で深々とリングに沈めたのでした。モンスターレフト誕生の瞬間であり、西岡選手覚醒の瞬間でした。これは私の知る限り日本人世界戦史上最高のワンパンチKOシーンです。




その後は圧倒的な強さで7度の防衛を重ね、かつてウィラポンに対しバックステップを踏み続けたひ弱さはすでに消え、パンチ力、スピード、卓越した技術を持つ完成度の高い王者として君臨し、若いころのビッグマウスから想像のつかない、淡々と落ち着いた佇まいの、まさに熟成した高級ワインの味わいを思わせるようなボクサーへ変貌をとげたのでした。(といっても私はお酒はあまり飲めないのでワインの味はわからないんですが・・・汗;)

所属する帝拳ジムの会長はあと1戦で引退させたい意向のようです。35歳という年齢はボクサーとしては高齢なので、肉体にダメージを受ける前に、長年離れて過ごした奥さまや娘の許へ健康な体で返してあげたいという親心なのでしょう。
次の試合はスーパースターボクサー、ノニト・ドネアとの一戦が噂されています。実現すれば間違いなく日本ボクシング史上最大のビッグマッチになります。ぜひ究極の完成されたボクシングで集大成の試合を勝利で飾ってほしいものです。
2011.10.05 西岡利晃選手
ブログの中にyoutube画像をいれることが出来るらしいので練習がてら書き込んでみます。

先日、ボクシングWBCスーパーバンタム級チャンピォンの西岡利晃選手が日本人として初めてボクシングの聖地ラスベガスで防衛成功を果たしたことが相当話題になっています。

私は高校時代、先日島田紳助氏の引退会見で話題になったA氏こと渡辺二郎選手が活躍していたころから20数年来のボクシングファンなのです。

で、チャンピォンの中でも人気実力を兼ね備えた1握りの王者しか上がることの許されないラスベガスのリングで防衛成功したことは本当に大変な事件なのですが、そもそも日本国外で防衛を果たすこと自体が日本ボクシングの歴史で僅か3例目という快挙中の快挙なのです。
先述の渡辺二郎が1985年に韓国でKO防衛を果たしたのが1例目。で残る2例が西岡選手によるものなのです。

この西岡選手、初めて世界挑戦したのが2000年で以来11年にわたって一線で活躍してきた訳ですが、この選手ほど
大きく変貌を遂げた選手は他にはいないでしょう。

世界初挑戦以前は、ボクシング雑誌のインタビュー等にも現在では想像もつかないような相当なビッグマウスぶりを発揮し、対戦相手へのリスペクトに欠けたような発言も随所に見られたものでした。
で、肝心の世界タイトルマッチはというと、これは挑んだ相手が悪かった。相手はあの辰吉丈一郎を2度にわたってリングに沈め、通算14度の防衛に成功したWBCバンタム級チャンピオンのウィラポン選手。その圧倒的なプレッシャーの前に西岡選手はパンチを出せずひたすらバックステップを踏むのみ。「え???これが話題の天才ボクサー??」というような試合ぶりでなすすべなく敗れ去ったのでした。

それ以降は計4度にわたってウィラポンに挑み続けるもいずれも失敗。ボクサーとしては致命的ともいえるアキレス腱切断。愛する家族を関西に残し東京の帝拳ジムに移籍し、「世界前哨戦」と銘打たれたノンタイトル戦を何度もこなすものの世界再挑戦の機会は訪れる気配はなく、ファンの注目は自身が4度も打ち破れなかったウィラポンからタイトルを奪った長谷川穂積選手や亀田兄弟、内藤大助選手らに集まり、かつての天才は日陰の道を歩き続けたのでした。しかも悪いことにあるノンタイトル戦でリング入場の際、リングアナから「トシオカーッ!ニシオッカー!」などとコールされてしまい、それ以降マニアのあいだでは「トシオカ」というあだ名が定着してしまうという悲劇もおこりました。


しかしこの雌伏の時、いつ訪れるともわからない再挑戦に向け、来る日も来る日も自分自身を磨き続けてきたのでしょう。
そして2008年ラストチャンスが訪れます。

すっかり長くなってしまったのでいったんここでひと区切りします。