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2017.01.23 新横綱
稀勢の里の横綱昇進が決定しました。

9日目に絶不調の琴奨菊に敗れたときは
「また”いつもの”キセか・・・ (;´д`)」
と思いましたが、よく立ち直りました。

なにはともあれ19年ぶりの日本人横綱誕生。素直に喜びたいと思います。

昔、このブログでこんなこと書いてたんですねえ。
http://interiorzakkicho.blog.fc2.com/blog-entry-80.html

「一方、優勝争いをリードしながらプレッシャーにつぶれた感のある大関稀勢の里関。若いからまだまだいくらでもチャンスはある・・・きっと多くの方はそう思うかもしれない。でも過去には前途を嘱望されながらワンチャンスを逃してしまったため、二度と優勝のチャンスは巡ってこなかったという例は意外と多いのである。勿論私の杞憂であることを願いますが。」

あれから4年半以上たちました。
あの時の心配が現実にならなくてよかった(´▽`)

あとこんなことも書いたこともありました。
http://interiorzakkicho.blog.fc2.com/blog-entry-46.html

「注目の稀勢の里は何とか大関昇進を果たしそうだ。
10勝での昇進は下駄をはかせてもらったようで釈然としないがまあよしとしよう。
その時々の雰囲気で昇進の目安など適当に変わるのが昔からの大相撲のいいところなのだから・・・

まあいい、これから横綱らしい相撲を見せつけることで、みんなを納得させてくれれば・・・




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同郷、福岡出身の琴奨菊の大関陥落が決まってしまった。

栄光に包まれた初優勝からわずか1年。
勝負の世界は実に厳しい・・・

じっくりとした四つ相撲ではなくて、動きが止まってしまうと苦しい相撲ぶりなので
さらに上(横綱)は難しかったか・・・

でも来場所10勝すれば大関に復帰できる。
来場所までに体のケアをしっかりして、体調を戻せば決して不可能な数字じゃない!
たった1年前には日本人として10年ぶりに優勝賜杯を取り戻したではないか!
あきらめずに頑張ってほしい。
菊



2016.08.01 千代の富士
いやあ、全く信じられない・・・
あの大横綱千代の富士が亡くなるなんて・・・
つい1年前には還暦土俵入りで現役横綱にも見劣りしないほどの肉体美を披露したばかりというのに・・・
23118_02.jpg
あの鋼鉄の肉体にはいかなる病魔も入りこむことなど想像すらできなかったのに。

小さな大横綱といわれた千代の富士ですが、前頭から十両で低迷していた時代が長く、あまりにも軽量すぎて力士の中に1人だけ一般人が混ざって相撲を取ってるような感じで、将来無敵の横綱になる予感は全くしませんでした。
ちなみに平幕時代の千代の富士と横綱北の湖が対戦すると下の動画の2分55秒~の取り組みのように派手に吊り上げられて、絶望的な力の差を感じます。


しかし昭和55年に入ると急激に力をつけてまいります。
私は下の動画の昭和55年9月場所の北の湖戦こそが千代の富士が覚醒した歴史的な一番であると密かに思っております。


あとは昭和56年1月場所で初優勝し大関昇進。世にいう”ウルフフィーバー”を巻き起こし一気にスターダムへ駆けあがります。
あの当時といえば相撲では貴ノ花が引退、野球では王貞治が引退。時代が次のスターを求めており、まさしく千代の富士はそんなタイミングですい星の如くに現れたスーパーヒーローでした。肥満体形の力士像とはかけ離れたシャープな体形とエキゾチックな顔立ちで、信じられないでしょうが当時の千代の富士の人気は相撲取りでありながら、おそらくマッチやトシちゃんなどのアイドルも吹き飛ばすほどの国民的スーパーアイドルそのものでした。もう相撲界にあのような一大ブームを起こせる力士は2度と現れることは無いでしょう。
合掌。
またしても筆無精病にかかってしまいご無沙汰してしまいました。

さて今日の大相撲夏場所千秋楽、全く予想だにしなかった旭天鵬関の優勝で幕を閉じました。

場所前はおろか、今日千秋楽の取組前の時点でも”旭天鵬の優勝だけは無いだろう”と思ってましたし、出来れば6年ぶりの”日本人力士の優勝奪還”を願って見ていましたが(もっとも旭天鵬関は帰化していて実質日本人なのですが)、でも優勝決定戦のあとの旭天鵬の涙をみるとなんだか”今回はこれが一番いい結果だったんだ・・・”と思いました。

37歳での初優勝は昭和以降ではぶっちぎりの最高齢初優勝の記録更新。幕内在位14年、80場所。幕内最高齢力士、最古参力士の優勝というのも多分初めてのケースではないでしょうか?(調べた訳ではないので違ってたらゴメンナサイ)。平幕同士の優勝決定戦も史上初。何から何まで記録づくめで、私のような記録オタクにはたまらない展開でした。

そもそも先場所をもって、所属する大島部屋の大島親方(元大関旭国)が定年を迎えるにあたって、旭天鵬が現役を引退して部屋を継承するものと思っていたら、生まれ育った部屋を一旦消滅させてまで友綱部屋に転籍して現役続行するとは全く意外だったのだが、その現役生活にかける執念が見事に実りました。

それにしてもあの優勝直後にあふれた涙が物語る20年という年月の重み・・・。

今の相撲界を席巻するモンゴル力士たち、彼らに道を切り開いた第1号が20年前に来日した旭天鵬や旭鷲山なのです。母国の後輩の朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜などが横綱・大関へと出世するのを横目で見ながら、もしかすると内心穏やかでなかったのかもしれない・・・。しかしそれでもコツコツと真面目に日々稽古を積み上げてきたのでしょう。

37歳という高齢で幕内力士を務めているということだけでも驚異的なのですが、これまでの超ベテラン力士、例えば魁皇関もそうでしたが、長年の体の酷使の結果古傷を抱えて、どこか体を庇いながら悲壮感漂う姿で戦っている力士がほとんどでしたが旭天鵬は一切そういう「くたびれ感」が無い。その体は張りがあって若々しいし、足腰の衰えなどほとんど感じられない。それこそ真面目に稽古を積み上げてきた証でしょう。

ともあれ今回の旭天鵬の優勝は一つの事をコツコツとたゆまずに続けていくことの尊さを教えてくれました。

一方、優勝争いをリードしながらプレッシャーにつぶれた感のある大関稀勢の里関。若いからまだまだいくらでもチャンスはある・・・きっと多くの方はそう思うかもしれない。でも過去には前途を嘱望されながらワンチャンスを逃してしまったため、二度と優勝のチャンスは巡ってこなかったという例は意外と多いのである。勿論私の杞憂であることを願いますが。

最後に以前このブログで絶賛したNHKの刈谷アナウンサー。今日テレビ実況を担当されていたのですが、稀勢の里vs把瑠都戦、思わず心の叫びが口から出てしまったのか、

「キセノサト、押した!押す!押せ~!

うーん、相撲中継はあくまで中立の立場で・・・これはいただけませんねえ(笑

やっぱり相撲は今日で千秋楽なので今日中に書いてしまおう!

ウィキペディアに魁皇について実に詳細に書かれているので、もうクドクドかくのはよそう。

でもこの力士の思いでは尽きない。
大関昇進を決めた平成12年7月場所千秋楽の一番を車のラジオで聞いた後、ついに”福岡から大関へ”の念願がかなってつい涙してしまったこと。

魁皇の「BEST FIGHT」 大関をほぼ手中にした武蔵丸との大熱戦!
探してたんです、この動画、UP主さん有難う!



5度も優勝しながらことごとく綱取りのチャンスをつぶすうちに満身創痍になり引退の瀬戸際に追い詰められたカド番の平成18年3月場所。6日目で2勝4敗になり勝ち越しが絶望的に思えた時、不意にアリスの「チャンピオン」の1節
「立たないで、もうそれで充分だ!おお神よ、彼を救いたーまえー♪」の歌詞が頭の中をめぐってきたこと。まさかこの場所5勝7敗の崖っぷちから生還し、その後5年も延命するとは夢にも思わなかった。

もう1つ上の悲願「横綱」へは本当にあと一歩、紙一重のところでなれなかった。
”勝負事に「もしも」は禁物”といわれるが、後述の「もしも」のうち1つでも回避出来ていれば多分横綱になれただろうと思う。

1.平成9年5月場所 貴ノ浪戦での大怪我が無ければ・・・
 この前の場所には優勝決定戦にも出ており、この場所の成績次第では大関昇進もあり得たのだが、この1番で股関節に大怪我を負ってしまう。力士生命が終わった!と思うほどの重症で、事実その後2年ほど低迷し後輩の千代大海、出島、最大のライバル武双山に大関争いで先を越されてしまい、もう大関は無理なのでは?と諦めたこともある。後年悩まされることになる腰痛もこの時の怪我が多分に影響しているものと思われる。この怪我がなければ
もっと早く大関に上がり、横綱にも上がっていたはずである。

2・朝青龍の台頭があと数場所遅かったら?
 大関として初めて優勝した平成13年3月場所後の5月場所は綱取りの場所であり、場所前は魁皇自身はマイペースで調整したかったはずだが当時入幕3場所目で新進気鋭の朝青龍が魁皇の胸を借りに来た。スタミナ充分の若武者相手に真面目に付き合いすぎてしまって腰がパンクしてしまった。結果、5月場所は途中休場。大関に上がって半年くらいが魁皇の一番強かった時期であり、この時に横綱に上がっておきたかったが朝青竜の台頭は誤算だった。

3.白鵬の台頭があと1場所遅かったら?
 平成16年9月5度目の優勝を果たす。年齢的に翌11月場所はラストチャンスと思われた。地元の声援を受け8勝1敗で迎えた10日目、入幕4場所目で同じくここまで1敗の白鵬と対戦する。実力では大きく上回ると思われた魁皇だが負けられないプレッシャーから固くなってしまい悪い癖の小手投げで相手を呼び込んでしまいまさかの黒星を喫する。これで事実上綱取りは終わってしまった。

若かったとはいえ大事な所で後の大横綱二人が立ちはだかったのは不運であった。そういう意味で魁皇は横綱になる星の元には生まれてなかったといえる。
しかしこれで良かったのかもしれない。なまじ横綱になってしまうと史上1位の通算1047勝、幕内通算107場所などの大記録は見れなかっただろうし、燃え尽きるまで戦う姿を見ることも無かっただろう。横綱とはそういう地位である。

私の声など届かないだろうが、魁皇関、19年間もの長い間、夢を見させてくれてありがとうございます。そして本当におつかれ様でした。

そして私の全くの個人的趣味の駄文ににお付き合いいただきました皆様、ありがとうございました。

23年5月 白鵬戦 横綱戦最後の白星 まさに怪大関!(かいおうぜき)


















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